東京都武蔵村山市内にある武蔵村山市立第七小学校には、学級園の野菜を使った食育を行う栄養教諭がいます。
吉村康佑(よしむら こうすけ)さんは、2016年に栄養教諭の免許を取得後、武蔵村山市立第七小学校に赴任してきました。
吉村先生は、第七小学校での仕事以外にも、給食センターで日々の献立作成と調理を行ったり、都内の食育リーダーを指導したりと、多彩な方面で栄養教諭として活躍しています。
そんな栄養教諭界の新進気鋭である吉村先生に、栄養士のお仕事Magazine編集部が直撃。
「どのような思いを持って栄養教諭として働いているのか? なぜ栄養士になったのか?」
など、精力的に活動する吉村先生に、仕事をするうえで大切にしている思いや考えを聞いてきました。
目次
「社会に必要とされていないのでは」どん底の先に見つけた理想の仕事
―――吉村先生は栄養教諭になる前、どのようなお仕事をしていたのですか?
吉村:
栄養教諭になる前は、静岡県の精神科で約1年間、栄養士として働いていました。
ただ……実は僕、もともと管理栄養士を目指していたわけでも、管理栄養士という仕事を知っていたわけでもなかったんです(笑)。
―――でも、大学は栄養学科のある学部を選んだんですよね……?
吉村:
僕が栄養学科のある大学に進学しようと思った理由は、小さい頃から自分の健康に悩んでいたからでした。体が強くなかったので、ずっと「健康になりたい」と思っていました。
「どうやったら健康になれるのかな?」と考えていたところ、母の影響で健康食品などを調べたりしているうちに、健康と食が非常に強く結びついていることを知りました。
それで、高校生のとき腸内細菌に関する講座に出席して「腸を元気に保つことが健康には肝心」という話を聞きまして。「なるほど!」と思って、腸の研究に携わるために栄養学科に進学しよう、と。
つまり、その時やりたかったことは腸内細菌の研究であって、栄養士・管理栄養士になることではなかったんです。
―――では、大学では腸内細菌の研究を?
吉村:
いえ、それが解剖実験をやってみて「自分にはできない」と思い、やめました。
実験ではマウスを使うんですが、僕にはどうしても、命を実験に使うことが耐えられなくて……。
結局、精神と運動と食事の関係について研究する研究室に入り、そこで学んだ経験がのちの精神科の就職に繋がったと思ってます。
―――卒業すれば栄養士の資格は取れますが、管理栄養士は勉強しないと取れませんよね? 管理栄養士の資格を取ったのはなぜだったのでしょうか。
吉村:
僕がいた学科は全員管理栄養士の試験を受けることになっていて、周りのほとんどが試験に受かっていたなか、僕はもともと管理栄養士になるつもりがなかったので勉強が足らず、落ちてしまったんです。
それが思いのほか悔しくて……。なので、管理栄養士を取ったのは、意地でした。
―――ということは、大学を卒業してから取ったんですか?
吉村:
そうですね。精神科病院で働きながら勉強して取りました。でも、卒業してすぐに勉強に取り掛かったわけでも、就職していたわけでもなくて。
僕はもともと教育とボランティアにも興味があったので、社会人になる前に一回「やりたいと思っていたことをやろう」と思ったんですね。
そこで1年半海外留学するつもりで、まずは韓国に留学したんですが、事情があって1ヶ月で帰国を余儀なくされてしまいました。
帰国した時期は5月。大学を卒業して1ヶ月経ったけど、自分には管理栄養士の資格もない。海外留学もできなくなってしまった。何をやったらいいのか分からなくなってしまったんですね。
大学の卒業前に就活していたときは3社から内定をもらっていたので「社会ってこんなもんだろう」と天狗になっていた部分もあって……帰国後に改めて就活をしたんですが、11社受けて全部落ちてしまったんです。
そのとき「ああ、自分は社会に必要とされていない」と思って、人生のどん底を味わいました。
―――それはつらかったですね……。
吉村:
そういうこともあって、「僕にできることはなんなんだろう?」と、自分と向き合って真剣に考えたんです。
そこで、「子どもが好き」ということと「栄養士の資格をもっている」、この2つを通じて社会に貢献する仕事を考えたら、小学校の栄養士として働くのはどうだろう、と思い浮かんだんです。
ただ、その前に研究室での経験もあって、心や体の病気で苦しんでいる人たちをサポートする仕事にまずは就き、栄養士としての修行を積む必要があると思って、精神科への就職を選びました。
教育者として子どもたちに関わりたい!栄養教諭を目指すきっかけになった「悩み」
―――病院栄養士として約1年間実務を積んだあと、栄養教諭になったということでしょうか?
吉村:
いえ、その前に東京都の学校栄養職員として入職し、世田谷の小学校で働くことになりました。
都の学校栄養職員で、栄養教諭免許を取りたい人向けに、大学で単位を無料で取得できる制度があったので、学校の夏休み中に通いまして。
それから栄養教諭として働くため、次の年にもう一度試験を受けて、はれて武蔵村山市の栄養教諭になったという流れです。
―――ふと気になったんですが、大学卒業後の進路に行き詰まった時代に「自分の目標は小学校の栄養士だ」と思ったんですよね? であれば、学校栄養職員のままでもその目標は叶っていたのではと思うんですが、なぜ栄養教諭にこだわったんでしょうか……?
吉村:
実は、学校栄養職員時代の経験こそが、栄養教諭になろうという決意を後押ししてくれました。
というのも、働いているうちに自分が本当に理想としているのは「教育者」だったんだなということがわかったんです。
学校栄養職員も、給食管理や食育のサポートができる仕事で、それはたしかに最初の目標ではあったんですが、栄養教諭のように、子どもたちに直接食育を行う授業はあまりさせてもらえません。
また、学校栄養職員というのは制度的な立場としては「先生」ではない。学校のなかでも、子どもたちを教育する先生とは違う位置づけと考えられている。
でも、実際に学校で学校栄養職員として働いていると、子どもたちは僕のことを「吉村先生」と呼んでくれる。
いくら子どもたちが「先生」って呼んでくれたり、話を聞かせてくれたり、休み時間に一緒に遊んでいたりしても、「僕は先生ではないのか」と。
―――うーん。モヤモヤしますね。
吉村:
そんなジレンマに直面して「栄養士法第一条には、栄養士とは栄養の指導を行う者だと書かれているのに、学校栄養職員は先生ではないのか?」「先生っていったいなんだろう?」と、考え続けていました。
なので、自分が栄養教諭になることで、栄養士が先生として教壇に立つことは堂々とできることなんだ、ということを示したいと思ったんです。
子どもたちの未来や教育について真剣に取り組んでいる先生の一人として、子どもたちの前に立ちたい、そんな自分自身の思いもありました。
栄養教諭の働き方はまだ未知数。仕事内容は自分でデザインできる
―――ところで、栄養教諭のお仕事の内容って、どんな感じなんですか? 業務について教えてください。
吉村:
僕は現在、所属が3つあります。ひとつは武蔵村山市と、この武蔵村山市立第七小学校、それと給食センターです。
武蔵村山市の職員でもあるので、第七小学校のほかにも市内の小中学校で食育の授業を実施していますが、中心は武蔵村山市立第七小学校です。
学校の職員として校務分掌やクラブ活動、委員会活動にも携わったり、第七小学校の学級園から採れた野菜を子ども食堂に届けたりする仕事もあります。
給食センターでは、ほかの栄養士さんと同じように、献立作成や帳表の作成、食物アレルギーの対応、食材の発注、厨房内の衛生管理などを行っています。
―――栄養教諭としての働き方って、主に学校の中で完結するものだと思ってました。給食センターにも行かれているんですね。
吉村:
栄養教諭という職種自体、できてまだ日が浅いものなので色々と手探りなところもあり、働き方が確立していないという課題があります。
逆に言えば、働き方は自分でデザイン可能なんです。
なので、なかには給食センターでの仕事よりも、各学校に行って食育の授業を中心に行っている栄養教諭もいます。
栄養教諭の人数が少ないのも課題です。東京都の栄養教諭は今63人(※)なので、市区町村に対して配置が一や二人にならざるを得ない現状があります。ちなみに、武蔵村山市の栄養教諭は僕ひとりです。
※2018年度現在
―――そんなに少ないんですか……! 吉村先生は、武蔵村山市配置の栄養教諭としてどんなお仕事をしてるんですか?
吉村:
市区町村に配置された栄養教諭は、市や町全体の食育施策を考える仕事を依頼されることもあります。
僕がいま引き受けているのは、各市区町村の学校に必ず一人「食育リーダー」の先生がいるので、その人たちを教育したり、若手の栄養士を教育したりする仕事です。直近では、7月の後半に、食育リーダーの先生たちに研修を行う予定があります。
学校だけで働くこともできるのに、あえて給食センターにもいる理由とは……?
―――栄養教諭の業務は学校だけで完結することもできるんですよね? 吉村先生は、なぜ給食センターにも所属しているんでしょうか。
吉村:
ひとつには、僕は栄養士なので給食を作ることはやめたくない、という思いがあります。
また、僕がいる給食センターはパートさんと栄養士の人数を合わせても人手が足りないので、業務を回すのが難しいという現実的な状況もありますね。
それから自分の信念として、自分が考えた献立を用いて子供たちに授業を行いたい、と思っているからですね。
誰か別の人が考えた献立を「ここがこだわりの部分で、ここが良い部分だよ」と説明することもできます。
でも、僕は食育を通じて子どもたちに「思い」を伝えたいので、人が作った献立を借りる形になると、その思いも薄っぺらくなってしまうと考えています。
忙しくなるとは思ったんですが、そこはどうしても譲りたくなかったので「やりたいです」と伝えた次第です。
―――「思い」を伝えたい。なるほど……ほかにも、給食センターで働く理由はあるんですか?
吉村:
実は、前からずっと悩んでいたことがあって。それは、給食センターと学校側の対立やコミュニケーション不足でした。
―――ちょっとデリケートなお話っぽいですが、くわしくお聞きしてもいいのでしょうか……?
吉村:
大丈夫ですよ(笑)。
僕は、人と人とがちゃんと顔を合わせて、繋がり合うことが仕事において一番重要だと思っています。それを怠ると「こんなにも人の意思や事情ってズレていってしまうのか」と痛感したからです。
武蔵村山市では月に一回、市内の小中学校合わせて14校の先生方が集まって、給食センターの栄養士と一緒に「給食主任会」という会議を開いているんですが、そこでの学校側と栄養士側の意見の食い違いが大きかったのを目の当たりにしました。
その原因は、学校と給食センターの仲介になるものが何もないことでした。
どういうことかというと、給食センターの栄養士が学校の様子を直接見に行く機会がないので、子どもたちの食べている様子とか、行事や天候が子供たちの給食に与えた影響など、学校の内部の事情が何もわからないんです。わかるのは、残菜量だけ。
―――残菜量しか、学校の事情を把握できるものがない、と。
吉村:
そうです。その日に学校で行事があって疲れていたとか、味が苦手だとか、食べづらいカトラリーだったとか。
残菜が出てしまう背景にはそういう色々な理由があるはずなんですけど、それが何も共有されていなかったんですね。
でも、それがわからない給食センターの人間からすれば「自分たちは美味しい給食を作ってるのに、なんで残すんだろう?」と、やっぱり納得できない。
毎日3クラス分ぐらいの大量の残菜量を目の当たりにしているので「こんなに作ってるのに」と不満も覚えてしまう。
―――つまり、学校と給食センターがちゃんと繋がり合っていないことが原因でいろんな行き違いが生じている、と感じたんでしょうか?
吉村:
はい。ですので、学校側と給食センター側の双方の事情をわかっていて、間をつなぐ調整役がいないと、関係性が作れない・問題が解決しないと思いました。
―――だから吉村先生が調整役となって、給食センターに所属しているということなんですね。具体的に、どのようにコミュニケーションをはかっているんでしょうか?
吉村:
たとえば、学校全体で大きな運動会の練習がある日がわかっていれば「運動会の練習で児童はいつもより疲れ気味なので、配膳しやすい献立にしませんか」など、学校側の事情を絡めた献立提案やアドバイスをしています。
学校側の事情も知っていると残菜の原因も分析できますし、それを栄養士さんたちに伝えれば、「じゃあ次はこうしよう」と改善策が考えやすくなりますよね。
また、学校に対しては「この日は運動会の練習があるので食べやすい献立にしました。行事を考慮して作りましたが、それでも大変なことがあれば言ってください」と、給食センター側の配慮も伝えることもできる。
そのような調整をコツコツとやり続けるしかなかったのですが、調整役をやり始めて今では2年経ち、ようやく学校側と給食センターが繋がり始めたと感じています。
先生方にも「食」で心が動く瞬間を味わってもらいたい
―――まさに、人と人とが繋がり合うことの大切さを実感できるお話ですね。給食主任会の方はどうなったんですか?
吉村:
僕が給食主任会で一番衝撃を受けたのが、ある学校の先生から言われた「この会議を開く意味はありますか?」という言葉だったんです。
「紙一枚に今月の給食はこれです」と報告をまとめてくれれば、わざわざ会議までする必要ないんじゃないかという趣旨の発言だったんですが、これは本当に重く受け止めるべきだと思いました。
「ああ、僕の仕事はここに出席している人たちに、少しでもこの会議が意味あるものと思ってもらえるようにすることだ」と考えたんです。
―――具体的には、どのように解決していこうと思ったのでしょうか?
吉村:
二つ試したことがありました。ひとつめは、僕がある月の献立担当だとしたら、それを決める会議で献立について意見を募って、気になるところは変えるという対応です。
もうひとつは、試作を作って持って行き、実際に先生たちに食べてもらうようにしたんです。
そしたら、一番厳しい意見を言っていた先生が「吉村先生が来てから給食主任会に出てよかったと思えるようになった」と言ってくれました。
―――素晴らしい成功例ですね!
吉村:
もうめちゃくちゃ嬉しくて。最初はみんなピリピリしていたのに、最近は笑顔も増えてきていて、僕自身手応えを感じています。
でも、会議の場だけの付き合いにするのではなく、その場以外でも交流をもつことも心がけています。
たとえば、僕は小教研という市内の小学校の先生たちによる研究会に所属してるので、給食主任会に出席している先生を見かけたときは話しかけたりとか。
―――なるほど。吉村先生の「人と人が顔を合わせて繋がり合う」という仕事の理念は、そうして生まれたんですね。問題が解決してきた今、給食主任会で先生たちが献立を食べてくれる様子を見ていると、嬉しいものですか?
吉村:
そうですね。僕は栄養教諭として、子どもたちへの食育では、心が動く瞬間を感じてもらうことを大事にしていて。でも、それは大人に対しても変わりません。
僕は先生方にも自身で何かを感じ取ってもらいたい。
なので、試作も実際に食べてもらいますし、市内の食育リーダーの先生方への食育研修では、先生方にも食に関する体験をしてもらいます。
たとえば、自分たちでバターを作って試食したり、だしの中身を当てるゲームをやってもらったり。そういう食に関する体験って、やってみると、先生方も本当に楽しそうなんです。
―――子どもたちに食育を行う前に、まずは食による体験を先生方が実感してほしいということでしょうか。
吉村:
そうです! 食に関することを体験すると、みんな楽しく、嬉しい気持ちを味わいます。それこそが、食育によって心が動く瞬間です。
だから「食というのは、こんなに楽しくて、人の心が動かされるものなんです。子どもたちにも、ぜひそれを教えてあげてください」と、僕は先生方にも伝えています。
厨房の人たちは同じゴールに向かうチームメンバー。それを忘れないでほしい
―――前半では、栄養士・栄養教諭としての経歴や実務のお話をお伺いし、お仕事に対する吉村先生の理念もお聞きしました。一旦ここで、すべての栄養士・管理栄養士を目指す後輩たちに向けて、アドバイスを頂けますか?
吉村:
大量調理の現場では、栄養士は厨房の調理員などパートさんたちを取りまとめて指示を出す立場なので、たとえ新人でも、厨房の責任者としてその人たちを動かしていく必要があります。
僕も昔経験したんですが、調理員さんに「にんじんはいちょう切りと短冊切りどっちがいいですか?」と聞かれたとき「どっちでもいいです」って答えたんです。
でも、一見どっちでもいいような食材の切り方ひとつにも、意味はあります。
責任者としては、どの切り方なら子どもの口のサイズに適しているか、それを考える必要があったんですよね。
大量調理の現場で働く栄養士には、そのようなひとつひとつの工程に対してきちんと知識をもって、それを指示する必要があります。
それができないと、他の栄養士や調理員のみなさんの信頼を得ることも難しい。
また、管理職的な立場にもなりえますから、委託業者と仕事をする場合、自分の評価によっては人を異動させたり、会社を変更させたりすることもありうる。そうしたら、その人たちの家族も含めた生活を大きく変えてしまいます。
昨日まで大学生だったのに、いきなりそういう立場に置かれてしまうということがあるんです。
だからこそ、天狗になってはいけません。
確かに栄養士と調理員は仕事の役割は違いますが、厨房の仲間は同じ土俵に立ち、同じゴールに向かっていくチームなんです。
そこを理解せず、指示を出す立場を鼻にかけて、偉そうにしたり、おごったりするのは、絶対にやめてほしいです。
栄養士の仕事は、とても可能性がある仕事です。将来の日本を変えるほどの力があると僕は思っています。
これから大量調理の現場を目指す人や新人の栄養士さんは、ぜひ、天狗になったりおごったりすることなく、謙虚な心で、役割は違えども目標は同じ現場の仲間と、同じ目線で、一緒にゴールに向かって仕事をする姿勢を大切にしてください。
まとめ
人と人とが顔を合わせてちゃんと繋がることが、行き詰まっていた流れを変えたり、解決が難しかった問題に、一筋の光を差し込ませたりすることになる。
人と人との繋がり合いを理念にする吉村先生の努力や姿勢、何よりも一緒に仕事をする仲間に対する熱い思いがうかがえた前編でした。
後編では、実際に武蔵村山市立第七小学校で行っている食育の授業の模様をご紹介。吉村先生のこれまた熱い「食育への思い」も詳細にお届けします!
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